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甘木・朝倉の民話 2

いろんなところに行くと、いろんな民話や伝説が残ってます。
そこには昔の人たちの、暮らしや考え方が解ります。
歴史の町、甘木・朝倉にもいろんな話があります。

◆ 孝子弥四郎 〜夜須町(やすまち)〜
 今から三百年ほど前、夜須の朝日村に弥四郎という男がおった。
 弥四郎は生まれつき正直でやさしい男だった。欲がなく、人のためを考え、親の言いつけに背いたことのない孝行者であった。
 また、弥四郎は大の働き者で、朝早くから働いていた。働くときにも牛を使っていたが、その牛に対しても、
「いやありがたい、おかげで仕事がはかどった。おまえもくたびれただろうから、ゆっくり休んでくれろ」
という具合にいたわって、鞭をふるうことなど一度もなかった。
荷を積んでいくときも、
「お前ばかりじゃ重たかろう」
と、帰りは自分で鞍をかついで帰った。

 こうして日々を過ごすうちに、まことに感心な男という事で、お役人様がご褒美を下さった。しかし欲のない弥四郎は、全部、神社やお寺に奉納してしまった。
 こんなことだから益々弥四郎の評判は高まり、とうとうお殿様までがご褒美を下さり、「弥四郎は一生年貢を、納めなくてもよい」という書付までもらった。

お殿様は

「夜須の朝日の弥四郎は
    親に孝行つくすなり
 牛馬に鞭をあてざれば
    受け持ちの田は作り取り(年貢を納めなくてよい」

という歌まで作られた。

 今でも夜須ではこの歌が語り継がれ、弥四郎をしのんでいるそうな。

     

◆ 阿弥陀ヶ峰の古だぬき 〜三輪町(みわまち)〜
 昔のこと、三輪町の阿弥陀ヶ峰におそろしい怪物が住んでいた。
この怪物は、夜な夜な阿弥陀様に化けて、きらきらと光り輝いた姿であらわれていた。
 村の人々は、阿弥陀様の尊いお姿を見て、この怪物をありがたい仏様と思い込んで拝むようになった。
 そんなある夜、この怪物の化けた阿弥陀様が
「若い娘を一人差し出すならば、その家のものはもちろん、村のものも皆安堵に暮らせるようにしてやろう」
と、告げた。
 村は大騒ぎになったが、何しろ阿弥陀様のお告げなので、とうとう娘を差し出すことになった。
 この話を聞いた御笠郡(みかさぐん)の猟師が
「阿弥陀様は、人の苦しみを救ってくださる、ありがたい仏様なのに、娘を差し出せとは・・・。」
と、不思議に思い、
「これはきっと、化け物の仕業に違いない。わしが退治しちゃろ」
といった。
 そうして、夜になって出てきた、阿弥陀様に向かって猟師が弓で射ると、見事に矢が命中し、怪物はギャっと一声上げて逃げていった。
 たどっていくと、山の中のほら穴に、大きな古だぬきが死んでいたそうな。

 *御笠郡・・・現在の筑紫野市・大宰府

◆ 三連水車のカッパまつり 〜朝倉町〜
 むかし、三連水車横の小さい村、三島の里に、作兵衛という働きもんがおった。
 作兵衛がその日の仕事を終えて、川で馬を洗っていると、馬が何に驚いたのか、馬小屋めがけて走り出した。あわてて作兵衛も後を追って馬小屋に行ったが、驚いた。
 なんと手綱の輪っかに、カッパが手を突っ込んでもがいている。
やがて近所のものが集まり、「殺しちゃれ」「見せもんにしない」と、大騒ぎになった。
 そのうち一人のじい様が、「かわいそうだから、助けちゃろい」と、言った。結局、これに里の衆も賛成した。
 しかし、助けるかわりに、次のことをカッパに約束させることにした。
 「人が溺れていたら必ず助けること、稲に水が枯れないようにすること」
 カッパは快く引き受けて、水の中に消えていった。
 その後、三島橋のところで子供が溺れたが、どうしたことか三島橋の三連水車のせき上で助かった。
又、どんな日照りの年でも、川の水が枯れたことがなかったので、里のものは
「こりゃきっと、あんカッパのお陰ばい」と、感謝した。
 それからは、毎年村を上げてカッパ祭りをするようになった。
竹筒に甘酒を入れて、それを三連水車のせり川にあげて河童に感謝した。
 この日になると、遠くは筑後の方からも多くの人が訪れ、村は一日中賑おうたげな。

◆ 星丸の七迫 〜杷木町(はきまち)〜
 むかし、星丸(ほしまる)というところに迫(さこ=谷)が七つあって、景色もよく、とても住みよいところだった。
 いつ頃か、この星丸に権現様と山姥が住んでいた。
 権現様も山姥も、この星丸がえらく気に入り、どうしても自分だけのものにしたいと思い、二人はいつもケンカばかりしていた。
 ある日、山姥はいい事を思いついて、権現様にこういった。
「権現さんや、ここではっきりと、ケリをつけようじゃないか。わしが七つの迫から一つを隠す。お前さんがそれを見つけられなかったら、お前がここから出て行く。みつけたら、わしが出て行く。どうかな、権現さん」
 穏やかな権現様も、ムカッとして、思わず「よしわかった、何時でもいいから隠してみろ。見つけ出せなかったら、ここから出て行ってやる」 と言ってしまった。
 それから何日かたって、山姥は権現様に、気づかれないように一つの迫を隠した。
 権現さまは、さっそく山姥が隠した迫を探したが、どうしても見つからない。これはえらいことだと、本気で探したが不思議なことに、やっぱり見つけられない。
 権現様は口惜しくてたまらなかった、約束なので、とうとうあきらめて
 「エーいこんなところに、おるもんかぁ」 といって獅子に飛び乗り、後ろも見ずに山奥に飛んでいってしまったげな。

◆ よそえもん 〜宝珠山(ほうしゅやまむら)〜
 元禄のはじめ、筑前(ちくぜん)の国と豊後(豊後)の国ざかいにある合楽(ごうらく)というところに、伊藤与三右衛門という人がおったげな。
 ある日のこと、合楽で、豊後側である男鹿田(おんだ)の人が育てた麦を、筑前のよそえもんが来て、刈り取ってまった。男鹿田の人が文句をいうと、よそえもんは
 「ここは筑前たい、筑前のもんが刈ってもよかろうもん。」
と言い張った。
 怒った男鹿田の人は代官に訴え、代官様は筑前の黒田の殿様に
 「よそえもんを差し出せ。」
と使いを出した。
黒田の殿様が、よそえもんを調べたところ
 「絶対、あの土地は筑前たい。その証拠に、国ざかいの土の中には、木炭が埋めてあるけん、お調べくだされ。」 と言った。
 そこで、筑前黒田の殿様と庄屋とよそえもん、そして豊後の代官と庄屋が立ち会って、そこを調べることになった。
 その前の晩、よそえもんはこっそり、合楽に行って木炭を埋めていた。
 翌日のこと、よそえもんは木炭を埋めたところに行って
 「ここを掘ってみなされ!」 と言った。
そこを掘ると木炭が出てきた。
 これでめでたく合楽は、筑前の領分になり、その手柄によってよそえもんは、苗字帯刀を許され、さらに年貢を納めなくてよくなった。
 その後、よそえもんが死んだ後も国境を見守るために、お墓は東向きに立てられたげな。





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