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◆仙道古墳 所在地朝倉郡三輪町久光 国史跡阿弥陀が峯から続く丘陵斜面 標高47~49メートル地点に位置しています。 古墳時代後期のもので、大形の横穴式石室があります、赤色・緑色でその壁面には、三角・丸・二重丸など簡単な幾何文字の装飾が施されています、2重の周構・半径5メートルの円墳で。 墳丘からは人物埴輪や馬形・家形などの形象埴輪や円筒埴輪・朝顔形埴輪柵形円筒埴輪など多種多様に出土している。 この古墳は公園いようになっており、なだらかな丘陵地帯からみえる景色は最高です。 |
◆医王山南淋寺 朝倉町八坂 国道386号線から山手に入ったところにある。あの最澄と空海が仏教復興のために大陸に渡唐下際に、航海の安全を祈願して七体の薬師如来像を彫ったと伝えられている。まいは、その一体がここ南淋寺に収められている。 静かなたたず何か心を落ち着かせる、この南淋寺の周りにはのどかな田園風景が広がる |
◆日照院 秋月の杉の馬場から虚空坂を上り詰めると、秋月黒田氏の祈祷寺日照院があります、藩主長興が寛永元年(1624)に建立させました。ここは本尊不動明王をはじめ虚空蔵菩薩が安置してあります。毎年、1月の13日から15日の3日間虚空蔵菩薩の祭礼がありその日は地元はもちろん遠方からもたくさんの参拝者がこられます。 参拝の際に笹にお札と黄色い子袋がついています。その中に、お金を自分でいれてくるんです、たとえば今年10円入れてきたら来年は20円にして返しにくる、といわれています。お祭りのときは無病・息災の祈祷、本堂では、炊き出しご飯の接待もあり、こられた方達は必ず食べて帰られます秋月の寺社仏閣の中でも代表的なところです。 |
◆平塚川添(ひらつかかわぞえ)遺跡 甘木・朝倉は、多くの古代遺跡が見つかっています。これは、いにしえの昔から、多くの人たちがここに住んでいた証でしょう。 平成4年、甘木市平塚地区に邪馬台国時代の環濠(かんごう)集落遺跡が発見されました。 集落を囲むように幾重に環濠があり、防御施設のような柵列(さくれつ)があり、大きい建物の跡なども見つかり、まさに"邪馬台国甘木説"裏付ける大きな手掛かりなるのではと、期待されています。 ●遺跡の概要 この遺跡は筑後川の支流、小石原川の氾濫源(はんらんげん)に恵まれた集落跡です。今から二千年前の弥生時代中期から古墳時代前期のまでの三百年間人間が住みつづけ、弥生時代(2〜3世紀頃)には集落を濠(ほり)で囲んだ大集落となりました。遺跡公園は、この最盛期の様子を復元しています。
遺跡公園では弥生時代の自然環境を修復するために、動物や昆虫・魚などが棲める(すめる)ような環境設備も行っています。環濠の水は、浄化装置できれいにした後、循環させています。 豊かな自然を醸成すると、その自然が自然を呼び、昆虫・鳥・魚類が増え、ますます自然が豊かになっていきます。遺跡公園では歴史を学ぶだけでなく、豊かな自然も満喫できます。
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◆秋月城址 古くは、漢王朝、王族の血筋の原田種雄が、秋月の荘を賜って秋月氏が興りました。一時は北九州をも治めるに至った秋月氏。しかし、時の権力者豊臣秀吉が九州入りした際、戦う事になりました。その後高鍋(宮崎県)に移封、その後、黒田氏が秋月を治めることになります。秋月藩は福岡藩の支藩として起こりますが立藩時に福岡本藩との確執のドラマを展開します。また秋月藩は財源を確保する為に色々な特産品を産んでいき今なお様々な特産品と伝統を伝えています。 今の街並みは、黒田氏当時の色が数多く残されているす秋月城の建物は残ってないませんが、当時の石垣が今も何か語ってくれているようです。 |
◆堀川水車郡(朝倉三連水車) 農繁期だけ動くこの水車。およそ200年前この地域の灌漑用に作られた、この自動回転式重連水車は今では3箇所になっていますが、全部で35ヘクタールの面積の田の水を補っています。夏、この水車の音。冬、動いてない水車・・を見ていると、忙しい世の中を、忘れさせてしまうような、感じがします。 |
◆橘ひろ庭宮跡 西暦661年。斉明天皇が百済救援にここ朝倉にこられた時に、皇居を造営橘ひろ庭宮と名づけます。天皇は僅か75日で、崩御されることになりました。当時の建物は藁か茅葺であっただろうといわれています。又この橘ひろ庭宮をめぐり、様々な伝説、文化財が点在しています。 |
◆原鶴温泉と鵜飼い 昔むかし、筑後川の川原で、湯浴みをしている鶴を見て、この温泉が発見されたと言い伝えられています。福岡県随一のお湯の湧出量を誇る温泉で川面と耳納連山を見ながら露天風呂は、この世の最高の贅沢ではないだろうか。その筑後川の夏には鵜飼たちと屋形船であろう。この鵜飼の期限は西暦717年ころといわれています。 |
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