| <コンシェルジェのトップへ |
|
| お盆が過ぎて、残暑の空に卷雲がかかるともう秋です。日毎につのる朝晩の涼しさ、身も心も落着く満ち足りた仲秋、そして彩り鮮やかな晩秋。太宰府の秋を彩る秋の祭礼をご紹介します。 |
| ◆ 神幸式大祭(どんかん祭り) |
|
太宰府天満宮の秋祭りです。9月21日から25日まで。1月の鬼すべ、3月の曲水の宴とあわせて、三大祭りの一つに数えられています。 21日は本殿で始祭があり、22日に遷御祭の後で、午後8時にご神霊を奉安した神輿(みこし)が本殿を発ち、道真公が2年余りを過ごされた配所「榎社」まで、4kmほどの道を“お下り”になります。 夜10時頃榎社に着いた神輿は、まずお旅所うしろの浄妙尼社の前に据えられ、奉幣が行われます。浄妙尼社は何彼となく道真公のお世話をしたといわれるもろ尼御前(浄妙尼)を祭るお社です。一年振りのお礼ご挨拶です。 その後、神輿は御旅所行宮に安置されて、御神霊は一晩をここでお過しになるのです。 翌23日お昼過ぎに、行宮榎社では4人の童女が舞う倭神楽が奉納されます。それから神輿は午後3時に榎社を発って、前の日の道を“お上り”になるのです。天満宮参道に入りますと稚児行列も加わり、5時半頃、浮殿でお移りの儀、7時頃本殿に着いて還御祭が行われます。 24日は献饌祭で神楽が奉納されます。25日は例大祭の後、午後8時から太鼓橋、心字池で千灯明を献灯して、この大祭は終わります。 この神幸式は、道真公が亡くなった198年後の1101年(康和3年)に、大宰権帥大江匡房卿(おおえのまさふさきょう)が始めました。 そしてその後も、平安の頃の荘厳華麗な様式がそのまま受け継がれてきました。それは、それぞれの時代ごとの絵巻物に遺されています。 いまも神輿のお供をする神職、奉仕の人々は、衣冠、直垂、大紋、狩衣、白丁と平安王朝を偲ばせる姿で行列を優雅に整えています。また五行(護行)の鐘・太鼓が先頭に立ち、“ドン・・カン・・”と交互に音を響かせながら進みます。 それで太宰府ではこのお祭りを「どんかん祭り」と云い、行列が通る道を「どんかん道」と云っています。 さらに神輿を担ぎ上げる時は、輿丁頭が「お前おあとお静かにおもりまして」、また道の中心を北に外れた時は「お南へお寄りまして」などと、平安時代を思わせる雅やかな掛け声をかけています。古い姿をそのままにとどめたお祭りです。25年前に福岡県無形民俗文化財に指定されました。 また鐘・太鼓の後に、狩衣、大口袴、侍烏帽子姿の稚児が“ささら”を打ち鳴らす竹の曲の道楽が続きます。さらに“お上り”の浮殿では竹の曲が、また還御後の本殿前では、竹の曲と稚児舞が奉納されます。 この「竹の曲」は“たけのはやし”といい、平安の頃、ある田楽一座がこれを奉納したのがことの起こりと云いわれています。 この「竹の曲」は、稚児が“ささら”を鳴らして舞い、“絞め太鼓”“横笛”が楽を奏する天満宮に伝わる古典芸能で、太宰府門前町六座が伝承しています。これも福岡県指定無形民俗文化財です。 お彼岸中日の前夜が“お下り”中日の午後が“お上り”です。天満宮境内、参道、どんかん道、榎社、どこででもご覧になれます。 太宰府の秋はこのお祭りで仲秋に入ります。 |
|
|
|
| ◆ 昔ながらの穫り入れ“抜穂祭(ぬいぼさい)” |
|
お彼岸を過ぎると、ぶどう、柿、栗、みかんなど、太宰府にも稔りの秋がやってきます。稲田ではどこでもコンバインが籾の収穫に動き回るようになりました。 そのなかで観世音寺の裏にある天満宮の斉田だけは、昔ながらの稲刈りが行われます。これが“抜穂祭(ぬいぼさい)”です。5月初めに種蒔神事、6月半ばに御田植祭をして大事に育てました。 まず、宮司、作長が石刃で稲穂を刈り採ります。古代の手法そのままです。この稲穂を神前にお供えする神事があり、その後で、菅笠(すげかさ)にもんぺ姿の巫女や氏子会、地元区会、子供会など、多くの方の奉仕で、鎌で稲が刈り採られます。 ここで穫れたお米は最初に、稔りを感謝する新嘗祭(にいなめさい)(11月23日)の折に本殿ご神前に供えられ、その後は度々の祭典のお供えのお役に立つということです。 田植えとともにこの稲刈りは、どんな時代になってもこのままの姿で続けられていくことでしょう。 |
|
|
|
| ◆ 秋思祭(しゅうしさい) |
|
旧暦9月10日の午後7時から、大宰府政庁跡で行われる道真公のお気持を偲ぶ天満宮のお祭りです。 秋の夜空に映る大野山の稜線(りょうせん)を背景にした浄闇(じょうあん)のなかに、正殿礎石前の広場に設けられた祭場が、燃え盛るかがり火に浮かび出され、宮司の祝詞奏上、続いて狩衣姿の巫女の神楽「悠久の舞」、竹の曲、琴の調べ、多くの道真公作詩の吟詠が奉納されます。 900年(昌泰3年)太宰府に来られる前の年のことです。9月10日の観菊の歌会後宴で、右大臣近衛大将菅原道真公は醍醐天皇の勅題(ちょくだい)にお応えして、「秋思」を作詩献上しました。これは限りないご恩にお応えしたいという心情を詠った漢詩です。この詩に感動された天皇から御衣を賜ったのです。 そして翌年の1月末、身に覚えのない讒言(ざんげん)によって大宰権帥に左遷されましたが、一年目の9月10日に配所の榎社で詠じたのが、有名な漢詩「九月十日」です。 去年今夜侍清涼 去年の今夜清涼に侍す 秋思詩篇獨断腸 秋思の詩篇独り断腸 恩賜御衣今在此 恩賜の御衣今此に在り 捧持毎日拝余香 捧持(ほうじ)して毎日余香を拝す 一年前の今夜を偲び、いまを見る断腸の思いのなかにも、国の平安と天皇の弥栄を祈る道真公の誠心がにじみ出ています。 このお祭りでは吟詠の最初にこの詩が詠われます。また菅公の詩といえば必ず詠われるのが、この漢詩です。 場所は道真公が「纔かに瓦色を看」て過ごされた「都府楼(政庁)」の跡。時はまさに「九月十日」。 静寂な気に包まれながら執り行われるこの“秋思祭”は、平安のいにしえと、道真公のお心をしみじみと思わせてくれるひと時なのです。 |
|
|
|
…お問合せはこちら…
|