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太宰府天満宮から南東に歩くと、すぐ、なだらかなみどりの丘の間に、青い蒲鉾型の大きな屋根が目に飛び込んできます。独立行政法人“九州国立博物館”です。 平成17年4月1日正式に発足し、それまでの設立準備室三輪嘉六室長がそのまま初代館長に就任しました。そしてその年、10月15日(土)に開館セレモニー、翌16日(日)から一般公開されました。 この建物は平成14年4月に建設が始まり、2年間かかって、平成16年5月9日に建物竣工式が行われました。その後、一年間、館内環境安定期間が置かれ、17年7月から秋の開館に備えての文化財展示作業がつづき、開館を迎えました。 「九州国立博物館」のコンセプトは「アジアとの交流による日本文化のなりたち」です。 地元の太宰府市は、この九州国立博物館が起爆剤となって、アジアの國際文化都市として生まれかわりました。 九州国立博物館へのアクセスはこちら。 |
| ◆ 四番目の国立博物館です |
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この博物館の開館まで、国立博物館は、東京、奈良、京都と3ヵ所でした。いずれも明治時代の創建です。この「九州国立博物館」は四番目で、約百年ぶりの誕生になります。 国立博物館は、美術工芸品、考古資料、民俗資料、史的遺物などの学術資料を、収集、保管、展示して、学術研究、社会教育、文化の発展に役立てるのが役割ですが、この「九州国立博物館」は“アジアとの交流”をその底流においています。 なぜ九州なのか? 明治32年(1899)2月8日、福岡日々新聞(西日本新聞の前身)に、美術評論家、岡倉天心が次のように説いています。いまから百年余り前のことです。 「古代美術保存の点よりすれば、余は実に九州博物館設立の必要を認む。抑も九州の地たる他方に異なる歴史を有し、古来外交の衝に当りし要地なるを以って、古代の器物中には外交の遺跡を尋ぬるに足る可き宝什少なしとせず(下略)」 なぜ太宰府なのか? 古代から太宰府は大陸、アジアとの交流の玄関口でした。 大宝律令に基づく大宰府政庁が置かれたのは8世紀当初、いいまから約1,300年昔のことです。それから約500年の間、奈良、平安時代には、ここが大陸との国交の窓口となり、また通商貿易のかなめとなりました。 「古都大宰府」は九州を統括する政治、経済、文化の中心。しかも古代日本外交の最前線にある東アジア國際政治都市として輝いていました。いまもたくさんな遺跡を遺しています。 「アジアとの交流による日本文化のなりたち」をコンセプトとする九州国立博物館に相応しいところです。 設置が決まるまで 早くからいろいろな動きがありました。 大正2年(1912)、政庁跡のある当時の水城村予算に“九州博物館設立斡旋費100円”とあります。 昭和2年(1927)3月25日、福岡選出国会議員4名提出の“九州文化ノ中枢歴史的史蹟タル此ヲ好適地トシテ九州博物館ヲ設置シ”とする建議案が、衆議院本会議で可決されています。 開館につながる誘致の動きは、昭和43年(1968)、官民一体で発足した「九州国立博物館設置期成会」で始まりました。 46年(1971)には太宰府天満宮が建設用地を福岡県に寄贈。 55年(1980)に福岡の学界、財政界を中心に結成された「博物館等建設推進九州会議」が発足。 63年(1988)3月にこの会議が九州各県知事の了承を得て、建設候補地を“太宰府”としました。 またこの年4月には地元四市一町の各種団体が集まる「九州アジア国立博物館を誘致する会(平成8年・九州国立博物館を支援する会と改称)」が発足し、4ヶ月後には10万人の会員を集めて、誘致運動に大きな弾みとなりました。 さらにこの63年(1988)6月には、これらの誘致団体と福岡県が一体となった「九州国立博物館誘致推進本部」が発足して、誘致活動を結集しています。 また福岡県は、この年4月に教育庁に「九州国立博物館誘致促進対策班」を置き、10月には「対策室」に昇格。さらに平成6年(1994)4月には県総務部に「国立博物館対策室」を設置して積極対応をしています。 一方、建設と運営の資金支援を目的として、平成4年(1992)に「財団法人九州国立博物館設置促進財団」が発足して募金活動を始めました。その後この財団は国および福岡県と共同して九州国博の設置、運営の一翼を担うことになり、平成12年(2000)1月から各種団体や一般市民からの募金を開始し、平成15年(2003)3月末現在、運営支援に21億円、建設支援に18億円応募の成果をあげました。 こうした誘致の動きに対して、国(文化庁)は平成2年(1990)年度予算に「博物館等整備運営の研究費」を計上したのを手始めにして、5年(1993)度には予算項目名を「博物館(九州)等整備運営の研究費」として、博物館建設地を「九州」に特定しました。 そして7年(1995)12月には、8年度予算案に「九州国立博物館(仮称)設置調査費等」を計上し、併せて8年(1996)3月に設置候補地を“太宰府”に決定しました。 建設の歩み 平成11年(1999)6月には、文化庁、福岡県合同で「九州国立博物館(仮称)設立準備専門家会議」が設置され、この会議が12年(2000)3月に「建設基本設計」を発表。13年(2001)4月には「展示基本設計」を完了しました。 13年度(2001)から国立博物館は独立行政法人となり、4月に東京国立博物館内に「九州国立博物館(仮称)設立準備室」が設置されました。この「準備室」は建物完成の16年(2004)4月に新設館内に移っています。 現地では、12年(2000)3月に整地作業が始まり、14年(2002)4月に起工式が行われて、本館建設が開始され、16年(2004)3月に建物が完成して、5月に竣工式が挙行されたのです。 |
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| ◆ 時代を先取りした斬新な建物 |
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みどり濃い丘に囲まれた17万平方mの敷地に、周りの丘に合わせるように、青色のなだらかな蒲鉾型のドームが建っています。ジャンボジェット機が2機格納できる大きさです。東西160m、南北80m、最高の高さ35.1m。地下2階、地上5階、延床面積約3万平方mの建物がこのドームにすっぽり覆われています。 しかも横の壁は総ガラス張りです。ですから周りのみどりの丘がそのまま映って、全体がみどりに溶け込んでみえます。 省エネ・省資源対策や、地球環境にやさしいいろいろな工夫 @太陽光発電 屋根には短冊型の太陽光発電パネルが2枚設置されていて、電力の購入を節約しています。この太陽光発電量は電力総使用量の約3%ということです。 A雨水の利用 屋根に降った雨は屋根の外側にあるパイプを通って地下のタンクに蓄えられ、飲料水以外のトイレ洗浄水などの雑用水として活用しています。 B地熱の利用 館内の空気は、この建物の南側にある給気棟から地下のパイプを通って館内に流れてきています。これは地熱を有効利用するためです。地熱は年中一定の温度(約20度C前後)を保っています。それで、夏場は外気よりも低く、冬場は外気よりも暖かく、年中ほぼ一定温度の空気が館内に流れて、年間一定温度を保たなければならない館内空調に係わる費用を抑えることが出来るのです。 Cダブルスキンガラス ガラスの壁は、特殊なガラスを2枚、1.5mの間隔に貼られているダブルスキンです。外側のガラスで温められた空気は内側のガラスとの間を上にあがり、地中を通ってきた20度C前後の空気が下から吹きあがってきて、外部と断熱を行います。 派手に見えますが、外部の気温変化に左右されない快適な室内環境を保つ役目を持っているのです。 D地震対策 この建物は地震の時に地盤の揺れを吸収する装置を備えた免震構造です。建物本体と基礎構造との間には、鉛直方向に硬く、水平方向に柔らかい積層ゴムアイソレーターを配置して、建物の揺れを大幅に低くしており、展示・収蔵庫部分の保存環境を確保しています。 明確なフロア構成 〔第1層〕*1階部分 * エントランスホール 2ヶ所の入り口につづく広々としたホールです。 ドーム内側の天井には約4千本以上の杉丸太を使用しています。すべて九州各地産の間伐材です。床がフローリング、一部御影石貼りです。また、床には大きな建物に一番有効な空調方式の床冷暖房設備が入っています。 入り口正面奥の柱基部にある「定礎 平成十六年三月」の文字は、太宰府東中学校1年生の古賀由夏さんが書きました。地域と一つという九州国立博物館の思いが現われています。 このホールにある施設は、 @ ミュージアムホール:約300席の座り易い椅子が並んでいます。いろんな催しが開かれます。また椅子を外し片付けると、エントランスホールにつづく広いホールになります。多目的ホールです。 A アジッパ(アジア文化体験エリア):九博のコンセプト「アジアとの交流による日本文化のなりたち」を実際に“見て、聞いて、体験できる”コーナーです。とくに小、中、高校生のみなさんに楽しんでいただける教育、普及ゾーンです。 B ミュージアムショップ:思い出の記念品などをお求めいただけるところです。 C ビュッフェ:“一休みにどうぞ”のコーナーです。 〔第2層〕*2、3階部分 エスカレーターで上がると、3階の特別展示室のフロ―アです。 * 特別展示室(企画展示室)(3階) いろいろな企画展示をする特別展示室が3室並んでいます。床がフローリング貼り、壁は杉板、天井は櫻材です。 展示室1……広さ約760平方m(32.4m×23.4m)天井高さ7.5m 展示室2……広さ約470平方m(32.4m×14.4m)天井高さ7.5m 展示室3……広さ約310平方m(21.6m×14.4m)天井高さ4.1m 開館以来、“アジアとの文化交流にもとずく日本文化の成り立ち”のコンセプトに相応しい、目を見張る感動の特別展が、つぎからつぎに開かれてきています。 *収蔵庫(2,3階) 文化財の収集、展示と併せて、その保存も博物館として重要な役割です。この層にある収蔵庫は文化財の収集、保存の核となるスペースで、国内の博物館としては最大級の規模と設備を揃えています。 例えば重要な湿度調整のために内装には九州産の節のない杉財を貼っています。また、最新の設備機器を備えて保存環境を整え、世界でもトップクラスの保存科学を確保しています。 2階の廊下には、収蔵庫内部を見ることができる窓が1ヶ所設置されています。貴重な文化財を収めている収蔵庫内部を外から見ることが出来るのは、全国で唯一、ここだけです。 *その他、この層には管理諸室、調査研究諸室、博物館科学関連諸室、保存処理・修復関連諸室を配置しています。 〔第3層〕*4階部分 特別展示室フロ―ア(3階)からエスカレーターで上がると、4階の文化交流展示室フロ―アです。 *文化交流展示室(4階) 常設展示室です。「アジアとの交流による日本文化の成り立ち」がコンセプトですので、とくに“文化交流展示室(海の道 アジアの路)”と名づけました。 中央に広がる基本展示室は約1.500平方m、その周りに大小さまざまな14の関連展示室が配置されていて、全体の床面積は3.900平方mです。周りの関連展示室には部屋ごとに特色ある展示品が並んでいます。 |
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| ◆ 生きている博物館 |
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平成6(1994)年6月に文化庁に設置された「新構想博物館の整備に関する調査研究委員会」が、9年(1997)6月には「九州国立博物館(仮称)基本構想案」を策定し、11年(1999)3月にはこれが「基本計画」として答申されました。 この骨子は、「日本文化の形成をアジアの歴史の観点から捉えよう」というものです。 これは東京、京都、奈良の既設3国立博物館が、日本の貴重な文化財を美術史的な見方で収集・展示・研究しているのとは全く違っています。 そして常設の「文化交流展示室」では、この趣旨を基にして、日本とアジアとの交流が少ない段階から、交流圏が拡大する経過を根底に置いて、つぎの5段階の展示が並んでいます。 縄文人、海へ(旧石器〜縄文時代): アジア諸地域における人文・自然環境の相互関係と、旧石器・縄文文化について展示。〔関連地域・東アジア〕 稲つくりから国づくりへ(弥生〜古墳時代): 大陸からの稲作農耕文化の流入により、列島の社会が変化していった様子について展示。〔関連地域・東アジア〕 遣唐使の時代(飛鳥〜平安時代): 仏教文化や外国の制度をを導入しながらどのように国家体制の整備を行ったかについて展示。〔関連地域・東アジア、西アジア〕 アジアの海は日々これ交易(鎌倉〜戦国時代): 中世日本における外国との交流範囲の拡大について、世界史的な観点から展示。〔関連地域・東アジア、東南アジア〕 丸くなった地球、近づく西洋(江戸時代): 鎖国から開国に至る流れのなかで、どのような影響がもたらされたのかについて展示。〔関連地域・東アジア、東南アジア、ヨーロッパ、アメリカ〕 ともかく「九州国立博物館」は、つぎの目標に向って進む“生きている博物館”を目指しています。 @ わが国の文化の形成に影響があったアジア諸地域との文化交流の歴史を全国的な視野から伺うことが出来る博物館。 A 考古資料、歴史資料を中心とした文化財の収集・展示、調査・研究及び学習活動が、総合的に機能する博物館。 B 博物館の諸活動全般が、国際化、情報化、学際化され、とくに展示活動及び学習活動に、その成果が常に反映される博物館。 C 国と博物館の設置地域とが連繋し、相互に協力を行いながら、博物館の諸活動及び運営管理を行う博物館。 この博物館は、いつ行っても目新しい展示が並び、しかも新しいメディアが一杯で判りやすく、何度行っても楽しいところとなっています。 そして見る人々に、悠久の時の流れを感じさせてくれるのです。 市域の15%が史蹟地で、80ヵ所を超える史蹟がある地元の太宰府市では、市を「まるごと博物館」として「九州国立博物館」と相携えて、新しい國際文化都市となるよう構想を建てています。 |
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