<コンシェルジェのトップへ


武蔵・小次郎ゆかりの手向山(たむけやま)を散策しよう

 手向山は小倉の東部、足立山山系の麓で住宅地に囲まれた東西、南北に400mほどの丘陵地である。
そもそもこの手向山は、宮本武蔵の養子である伊織(小倉藩家老)が、藩主小笠原忠眞から薪山として拝領、代々伝えられたので、宮本山、と別称されていた、現在も山の入り口に宮本家代々の墓が祀られている。
又山頂には武蔵の没後9年目に伊織が建立した「宮本武蔵顕彰碑」と佐々木小次郎を偲び、作家の村上元三氏が寄贈した「小次郎の碑」がある。
毎年この地で巌流島の決闘の日、4月13日に近い日曜日に二つの碑の前で両者を偲ぶ「武蔵・小次郎まつり」が開催されている、なんでも1950年から継続している祭りは桜の季節と重なり多くの人で賑わう。今回は、初秋の晴天の日に訪ねてみた。
手向山周辺地図

◆ 山頂への道
   小倉から国道3号線を門司方面に向い1km程で「手向山入り口」交差点に着く、正面に宮本武蔵の大きな看板が案内してくれる、右折して100m先の右側に商店があり、ここが案内所を兼ねたお店、パンフレットや資料と共に、おばさんから手向山の話も聞く事ができる。
 この店から、宮本家の墓所は歩いてもすぐ、説明板を読んだ後フェンス越しに観るより、全体を観るのは反対側に廻ったほうがベストだ、道路は車が離合できる広さがある。
 更に坂道を進むと広場に出る、ここはバスで観光に来た人のUターン場所になり駐車禁止の場所になっている、この季節は休日でも観光に訪れる人も少なく、地元の人が散歩するのみで、徒歩で登る道も階段が整備している、元気を出して自力で登って見たくなる気分になる場所だ。
車道は急角度で左折し山道に入る、山は全体が自然林でシイ、ツバキ、タブなどの大樹で昼でも暗い、木々の中を縫って登ると木漏れ日がまぶしい、途中には離合場所のあり安心してドライブできる、やがて山頂の駐車場に到着、国道から400mの距離である。

手向山入り口の案内

自然林の道は山頂まで続く

徒歩で登る道も整備されている
◆ 山頂からの景観
   駐車場から標識板があり階段を登ると山頂広場にでる、昔は周囲の木々も小さく山頂から一望できたに違いないが、現在は中央に展望台があり、成長した樹木の更に上から遠望できる、正面の関門海峡、東側に関門橋、門司港の街並、下関港、巌流島も観える、西側は小倉の街並、製鉄の工場群、玄界灘と素晴らしい景色だ。
 広場は桜の木で埋まり、花見の季節は最高のロケーションである、こんな環境を無料で味わえることに感謝したい。
 この手向山には、明治時代に関門海峡の防衛のため砲台が築かれ山全体が要塞化して終戦まで続いた、当時の弾薬庫跡、砲台跡、探照灯台座跡、なども残っているので歴史の動向も学ぶことができる。
周辺には子供の遊具や散策コースもあって家族でも楽しめる場所だ。

宮本家代々の墓地

山頂駐車場には弾薬庫跡も点在

山頂広場は桜の中に展望台がある
◆ 武蔵・小次郎の往時を偲ぶ
   山頂広場の西側に「宮本武蔵顕彰碑」がある、高さ4.5mの巨大な自然石には、剣の道に生きた武蔵の生涯が千百余文字で刻まれている、これは1654年に伊織が建立したもので、現在では350年余り経過しているため、刻字が判読できない字もあるが、幸い説明板があり武蔵の波乱の人生が理解できるのはうれしい。
宮本武蔵顕彰碑」は謎の多い武蔵の生涯を物語る数少ない資料としても大変貴重なもので、明治時代要塞化で砲台を築く際には、近くの延命寺に移され、戦後再び手向山に戻された経緯もある。
 また、すぐ近くに佐々木小次郎の碑がある、これは1951年、作家の村上元三氏が、新聞小説「佐々木小次郎」の連載終了を記念して寄贈したもの「小次郎の 眉涼しけれ つばくらめ」という句が刻まれ、武蔵以上にカリスマ的な小次郎をこの小説で美少年化したともいわれている。
 駐車場から反対側の急坂道を降りると手向山の裏側住宅地にでる、
この手向山は四季を通じて簡単に登れる場所、北九州の環境の素晴らしさを知る公園でもありお勧めです。         (記 佐野)
           *****  *****
アクセス バスは小倉駅前より門司方面行きにて12分 手向山バス停下車
           門司駅前より小倉方面行きにて 7分 手向け山トンネル口下車

宮本武蔵顕彰碑

佐々木小次郎の碑

関門海峡・巌流島も観える





…お問合せはこちら
Q-shu my-concierge