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門司港の歴史は明治から大正にかけて、欧州航路や大陸航路など様々な外国船が入港する国際貿易港として栄えた、最盛期には年間600万人に近い乗降客でにぎわっていたという、街には西洋風の建物が立ち並び活力ある港町として、昭和16年ころまで続いたそうだ。 その後、戦争の影響など港の機能も大きく変化し物流では、田野浦、太刀浦、新門司などへ移り、人の動きでも海底鉄道トンネル、新幹線、高速道路の整備など時代の流れは大きく変化した。 しかし、平成に入り、北九州市が門司港レトロ事業として、昔に繁栄した往時の街を再現し観光の中心として復活させた。現在「大正ロマンのレトロ街」として全国へ広がりつつある。 港町の風景は船が主役であり、海峡を結ぶ連絡船も歴史の中で重要な役割を果たしてきた、運営形態も時々で変化したが現在も海峡の足として大事なポジションにいる、今回はそんな連絡船の「渡し場」に足を運び風情を拾ってみた。 周辺地図 |
| ◆ 門司港駅から海峡へ |
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寒中の晴れた日に門司港駅改札口を出ると正面に日本郵船ビルが目に入る、広場を左に回り信号機の前まで行くと潮風と共に海峡が見えてくる、海の匂いはどこも同じだ、道路を渡った先にはタイル舗装が放射状にデザインされたおしゃれな広場にでる。 正面にタグボートが3隻停泊し今日は出港予定が無いのか、冬の陽だまりの中でユッタリと居眠りしているようだ、こんな風景は外国の写真でよく見かける景色で、今日は波止場で釣りをする人も少ない、この付近一帯を西海岸と呼び、海峡を眺めながらの散歩は楽しい。 |
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| ◆ マリンゲート門司(渡し場) |
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広場の正面に「マリンゲート門司」がある、一階は乗船券売り場、観光案内、待合室でありここから下関、巖流島、四国松山への定期船が出ている。 二階に上がると展望室になっていて窓越しに360度の視界が開け、間近に海峡を行き交う船を見ることができる。 海峡の左手に彦島と巖流島が横たわり、島の奥に位置する工場煙突と煙が島と一体化して大きな船を連想させておもしろい。 ベンチで海峡を見ている老人に話を聞くと「昔、熊本の天草と八代間の渡船に乗っていたが、天草に橋が出来て船が廃止となり、門司港へきた、今は船を降り時々ここで海峡と船をみるのが何よりの楽しみ」という、この老人にとって海や船は人生そのもの、この場所は最高の展望室にちがいない。 正面には、対岸の街並が見えるが、通過する船によって風景が見え隠れする、何でも一日に700隻の船が行き交う海峡だ、その景色をスケッチしている女性は福岡から来たという「門司港は何時きても新しい発見があり、どこの景色を描いても絵になる」と語る、今日は友達と海峡の夕日を観るまでスケッチをするそうだ。 |
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| ◆ マリンゲート周辺のポイント |
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マリンゲート門司の近くに、港町の歴史を後世に伝える出征軍馬の水飲み場がある、案内板には次のように記されている「昭和6年の満州事変勃発から終戦にかけて日本全国の農村から多くの農耕馬が軍馬として徴発され、この門司港から軍用船で戦地に渡った、その数100万頭に及ぶ、そして馬は再び故国の地を踏むことはなかった。 このため馬にとって最後のお別れの水を飲んだところがこの水飲み場、当時は西海岸に数箇所あったが、今は一つだけ残っている」 平和の尊さを忘れないようにこうして北九州市が保存している。 今日も観光の人、通学、通勤者など多くの人を運ぶ連絡船は赤い「門司レトロ灯台」の横を波を蹴立てて走ってゆく、一度海峡の旅人となり連絡船で海を渡ってみよう、人生観が変わる体験が出来ると思う。 (下関へは1時間に3便、5分の船旅片道390円、巖流島へは1日5便、往復800円、四国松山へ高速船で1日2便、片道7800円が周航している) (記 佐野) |
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