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源平最後の合戦として有名な壇ノ浦の合戦は1185年3月24日早鞆の瀬戸を中心とする関門海峡を舞台に繰り広げられた。 早朝から始まった戦いは日が西に傾きかけるころ、勝敗は決定し、安徳天皇を乗せた御座船に平家の総指揮官平知盛がきて母親である二位の尼辞世に敗戦を告げ、平家の時代は終りとなった。 現在、下関市には壇之浦町、みもすそ川町などの名残が地名に残っている。 関門海峡の一番狭いところが「早鞆の瀬戸」とよばれここに「みもすそ川公園」がある、その名の由来は、平家終焉の時に二位の尼辞世が詠んだ「今ぞ知るみもすそ川の御流れ波の下にも都ありとは」の歌からつけたようだ。 公園には往時を偲んで石碑も建立されている、歌の「波の下にもみやこありとは」今から820年前の歌であるが、なんと現在はその波の下に関門トンネルが開通し一日31500台の車が通行していて、さらには車道の下には人道が整備され人の往来もできる。 尼辞世は、あの世できっと驚きの声を上げているに違いない。 今回は、この関門トンネルを中心に歩いて画像と話題を集めてみた。 |
| ◆ 関門海底トンネルを調べる |
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関門トンネル(長さ3461m)は昭和12年に計画が持ち上がり、戦争による中断はあったものの、21年の歳月をかけて苦難のすえ、昭和33年に開通した海底のトンネルで車道とその下には人と自転車も通れる人道トンネル(780m)も整備されている。 トンネルは海底のため、絶えず海水がしみ出し、その量は一日に4800トンと言われドラム缶にすればなんと24000本になる、このため、トンネル内に海水が溜まらないように、門司・下関の両側に水抜き専用の立抗を設けて、ポンプで地上にくみ上げている。しかし、万一停電などの事故があった場合に備え自家発電装置もあり、安全を確保している。 しかし、駐車場の横にはトンネル工事で亡くなられた人の慰霊碑もあり海底トンネル建設が大変に困難・過酷な工事であった事を物語っている。 その先人達の苦難と努力の結果、現在は関門トンネルと関門橋は本州と九州を結ぶ物流の大動脈であり、経済効果ははかり知れないものがある。 |
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| ◆ 海底の人道トンネルを歩く |
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門司側の入口は九州最北端に位置する和布刈神社の裏手で、門司港側から行くと右手の道路際に大きな表示版が目を引く、駐車場は入口を過ぎてから右手に坂を登った所にあり10台ほど駐車できる。 駐車場から階段を下りてトンネル入口に出る、ここにはエレベーター2機が稼動していて無人運転で地下60mまで降りられる。(ちなみに人は無料、バイクは20円)地下の広場にはトンネルの歴史や資料の表示があり勉強になる。 左手に進むと巾3,85mの人道が直線に延びトンネル内は空気の温度も違い、頭上の車道の音と、しみ出した海水の流れる音も聴こえ不思議な気分だ。周囲は魚の壁画などもあり海底を散歩しているように楽しい。 最初は下り坂で380m進むと最低部の福岡県と山口県の県境になり、その後は登りの400m、所要時間13分で下関側広場に到達する。 途中には万一の事故に備えインターホンも数箇所に設置していて安全を確保している。 地元の人は、ジョギングや散歩によく利用する、天候に左右されない最高のコースである。(エレベーターの稼動時間は朝6時〜夜10時まで) |
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| ◆ 下関側からの関門海峡 |
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下関側のエレベーターを出ると前は、国道を挟んで「みもすそがわ公園」その先は関門海峡だ、国道の信号を渡ると右手に真っ赤な橋の欄干が目に付く、川はないが欄干には「みもすそ川」とあり往時を偲べばこの付近に小さな川が関門海峡に流れ込んでいて、このあたりで二位の尼と安徳天皇が入水し、公園付近は源平の船戦の海域だったのかも知れない。 公園から対岸を望むと、先ほど入った門司側のトンネル入口、さらには平知盛の築いた門司城のあった古城山が正面にどっかと存在感がある、右上には関門橋と新旧が混在しこの公園は何処を切り取っても絵になる風景だ。 みもすそ川公園には 「安徳天皇入水の碑」「平知盛・源義経の像」「壇ノ浦古戦場址碑」「壇ノ浦砲台跡」「長州砲とレプリカ」など幾多の日本の転換期に結びついた貴重な史跡が多く残されている。 実際に海峡を歩いて旅の想い出に歴史に漬かって見るのも楽しい。 (記 佐野) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ バス利用の場合 門司側は〜西鉄バス「関門トンネル人道口」バス停下車 下関側は〜サンデンバス「みもすそ川」バス停下車 |
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