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門司区白野江には関門海峡の航行の安全・安心のシンボルとして現役最年長の灯台が海峡を通行する船を見守っている。 そしてこの海岸に、片手に松明をかざして海峡を見すえる大きな白色セメントの像が建っている。 この人物こそ、洋式灯台の建設に先立つこと三十余年前、この地で航海安全の火を炊き続けた僧清虚である。 門司区白野江 周辺地図 |
| ◆ 3世紀またぎ関門を見守る | |
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関門海峡の東の入口、周防灘を望む小高い丘の上にある部埼灯台は九州に現存する灯台で、最も古い。海と空の青さに包まれた白い姿は優雅な印象さえある。 明治5年(1872)、明治政府に雇われた英国人技師・ブラントンによって建てられた。 ブラントンは8年間の日本滞在中に26の灯台を建設し、日本の灯台の父と呼ばれた。 32キロ先まで光を届けることが出来るレンズは、明治28年(1895)にフランスから輸入された。 鉄のドームの上に取り付けられた風向計には「東西南北」が漢字でかたどられており、長い歴史を感じさせる。 1日に600〜700隻の船が行き来する関門航路は潮流が速く複雑で、日本でも有数の海の難所である。 現在、部埼には航行船舶にその位置を示す灯台のほか、早鞆の瀬戸の潮流状況を電光板で知らせる潮流信号があり、自動あるいは無線回線による遠隔監視制御によって運用されている。 |
| ◆ 僧清虚像も航行の安全を祈る | |
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清虚像は昭和48年(1973)、青浜の海岸に門司の有志によって建立された。 清虚は大分国東の人で太兵衛と称していた。安永6年(1777)17歳の時、座相撲で友人を殺めてしまった。 過失として無罪となるがこの悔恨から出家して清虚と名を改め、友の冥福を祈って諸国行脚の旅に出た。途中、「念仏崎」とか「狐崎」と呼ばれた部埼を通りかかり、難破船の多いことを聞いた清虚は、世のためになることをするのも功徳と決心し、下船してここに庵を建て、毎夜油を炊いて船の道しるべとした。 清虚は毎日托鉢して得た米の中から一食分を残し、あとを油代にあてるなど苦労した。 村の人たちは初め「一食坊主」と呼んでさげすんだが、あまりにも熱心な彼の姿を見て慕うようになった。 また、この話を聞いた小倉藩や下関の船問屋も清虚の行為に感動して援助した。 嘉永3年(1850)、75歳で没するまで、13年の長きにわたって火を炊き続け、彼の死後は村人によって洋式灯台が建設されるまで受け継がれた。 記事:小西(070421) |
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