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潮風に心がなびく東洋の港町 若松バンド

かって石炭景気にわいた歴史と発展を伝える北九州市若松区の南海岸通り。
大正期の建物群が残り、人々は「若松バンド」とか、大正ロマンストリート」と呼ぶ。
東洋の港町の海岸通りや船着場の一般的な呼び名が「バンド=BUND]。

若松バンドとは、若松海岸通りの大正期の建物群を中心とした近代港湾都市固有の帯状の都市空間で、石炭景気に沸いた若松の歴史と発展を伝えるとともに景観的にも非常に優れた地域である。
バンドのオリジナルな景観を残す港湾都市は港湾機能を失った都市を除くと、日本ではここ若松だけになる。

若松南海岸通り 周辺地図

◆ 若松南海岸
  「バンド」といえば、すぐに頭に浮かぶのが、中国の上海。ビルの大きさや規模、ライトアップのド派手さなどは及ばないが、こちらは、しっとりとした落ち着きがある。
「若松バンド」と呼ばれる所は、若松の歴史ロマンあふれる海岸通りで、若戸大橋の真下あたりから栃木ビル、洲口番所があった洲の口公園を挟んで上野ビル、若松渡場、旧古河鉱業若松ビル、石炭会館、旧ごんぞう小屋、エルナードまでの洞海湾沿いの2キロ足らずである。

旧古河鉱業ビル

石炭会館

沖仲士の休憩所だった旧ごんぞう小屋
◆ 人と心を運ぶ若戸渡船
  人々に愛され、暮らしと共にある「若戸渡船」。
運賃、片道大人100円。若松区本町と戸畑区北鳥旗町を結ぶ「若戸渡船」の始まりは、江戸時代までさかのぼる。当時は「大渡川(おおわたりがわ)渡船」と呼ばれていた。渡船は、若松と戸畑間の一番距離が短いこの場所でずっと運行されている。そんな歴史のある渡船だが、利用客は昭和36年度の千六十一万人を最高に、翌37年、若戸大橋が開通してから次第に減り続け、平成10年度は百三十六万人になった。
でも、乗客が少なくなっても海の香りを感じるこの渡船が好きと語る乗客は多い。いつまでも残して欲しい懐かしさを感じさせてくれる。港町、若松の海岸通りには似合いの渡船である。

若戸大橋下をくぐる渡船

若松バンド遠景

厳島神社
◆ 若松の昭和史をうかがい知る文学の小径
  若松といえば、昭和初期を代表する若松出身の芥川賞作家、火野葦平を抜きに語ることは出来ない。
若松南海岸側にある若松市民会館内には葦平が使用していた書斎を復元し、写真やパネルを展示した「火野葦平資料館」がある。
又、近くには葦平が過ごした旧居「河伯洞」があり、河童好きの葦平が住む家という意味で、「河伯洞」と名付けられた。
この家は葦平の代表作「花と龍」をはじめ、数多くの作品を生み出した住まいである。
兵隊三部作「土と兵隊」「麦と兵隊」「花と兵隊」も多くの人に親しまれた作品集です。
若松南海岸の近くには十日恵比須で賑わう、若松恵比須神社もある。

記事:小西(071013)

河伯洞

火野葦平作品

若松恵比須神社





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