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岩松助佐衛門は、今からおよそ200年前の、文化元年(1804)小倉城外の長浜浦(現在の長浜)に生まれた。岩松家は代々庄屋を勤め、助佐衛門も18歳で庄屋となり、のち文久元年11月(1861)、57歳の時、小倉藩から難破船を助ける役「海上御用掛難破船支配役」を命じられた。 西顕寺(小倉北区京町4丁目)&岩松助佐衛門生誕の家(小倉北区長浜2丁目)周辺地図 |
| ◆ 小倉城境内に顕彰櫓 |
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当時、藍島(あいのしま)の沖では、数多くある浅瀬に船が乗り上げ、多くの死者が出る事故が相次ぎ、西国一の海の難所として船人から恐れられた。助佐衛門はこれを憂い灯台を作りたいという願い書きを藩に出した。 ところが、許可は出たものの費用は自分で集めなければならなかった。そこで募金活動を始めた。 しかし、なかなか集まらず、助佐衛門は私財を投げうって灯台づくりに努力した。 明治4年、灯台建設事業は国に引き継がれ、同6年、宿願の白洲灯台は点灯されたが、助佐衛門はその完成を見ることなく、前年の4月病没した。享年69歳。 尚、助佐衛門の美挙は小学校国語教科書にも掲載され、広く全国的に紹介された。助佐衛門の働きをたたえて、1963年に小倉城境内に岩松翁顕彰櫓が建てられた。 毎年、顕彰櫓の近くで助佐衛門をしのぶための、盆おどりが行われる。 |
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| ◆ 助佐衛門の墓 |
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小倉城下町の出入り口に常盤橋があるが、これが九州五街道の起点であり、江戸に上る道を行くとそこが参勤交代往環路である。まっすぐに歩いていくと、浄土真宗本願寺派の西顕寺(さいけんじ)に行き当たる。 このお寺の山門を入ってすぐ正面にある灯篭が助佐衛門の墓である。 |
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| ◆ 助佐衛門生誕の家 |
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西顕寺を出て、この道の突き当りを左折して小倉城郭東端の門司口門をくぐり城外に出る。当時の門は昼夜開門しており、門の横に番所があり、常時門番がいたとのこと。 門司口門から、長浜、赤坂を通って大里に行く道は、万葉の昔から往来が盛んであり、高浜、長浜は万葉集にも出てくる「企救の高浜」「企救の長浜」で風光明媚なところであったと言われる。 助佐衛門生誕の家はその長浜に今も残っている。 アクセス:北九州の玄関口、小倉駅までは新幹線で移動。 小倉駅より東に徒歩10分。 記事:小西(080128) |
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