木曜日(明見神社の御神木)



今回は、近所の神社の話です。 

 この神社は、「明見神社」といって、永正7年(1510年)にこの地方を治めていた、都於郡城主伊東尹祐によって建立されています。
当時、この地方は大変荒れていました。文亀3年(1503年)は干ばつ、早霜による天災で大飢饉、翌永正元年には大火があり、また城主当家のお家騒動も重なり混乱をきわめていました。
ある事件で当主への謀反の疑いがあり、家臣の重鎮が自刃を余儀なくされ、命を捨てることとなりました。しかしその後に詳しく調べてみると、誤った密告を信用した城主自らに非があったことに気づきます。大変後悔されました。そこで、その家臣の霊を慰めるために、この神社を建立したとされています。と同時に境内の中央には、御神木としてイチイガシが植樹されました。
ご神木  その御神木は、現在では幹廻り5.6メートル、樹高18メートルまでになり、境内の中央にしっかりと根を張っています。
ところで、私は高校1年まで曽祖父と同居していました。曽祖父は明治19年生まれで、小さい時分の話をよくしてくれました。
彼が学校にあがる前の年は、大変な干ばつでした。そこで村の重役、氏子がこの神社に集まり、「雨乞い」をすることとなりました。するとその「雨乞い」の最中、神社の南西の方角が俄かに曇りだし大雨、たちまち雷鳴が轟くようになりました。そしてその一条の稲妻がこの神社のすぐ北側にある楠木を直撃。近くにいた住民5人の命を奪いました。
「雨」を待ち望んでいて、その望みが叶って、そしてまたその犠牲になるということで、爺さんの作り話では?と思っていたのですが、明治25年8月26日の出来事として、郷土史にもしっかり記述されています。
現在でも南西のある集落に雨が降ると、我々の集落にも雨が降ると信じられていて、実際にそういうことがあります。「雨には筋道ができている。」と曽祖父は言っていましたが、ナルホドと思える事件のような気がします。
ミケン様  昭和の始めまでは、「妙見神社」とされていましたが、隣の地区にも同名の神社があり、紛らわしいというので現在の「明見神社」となりました。
この神社の御神木「イチイガシ」の幹の中央は空洞になっていて、我々が幼い時分には、「かくれんぼ」の格好の隠れ家として、よくつかっていました。また小さい方をモヨオスときは、そのまんま御神木の中で用をたしていました。同じことを父親の世代、祖父の世代、曽祖父の世代もやっていたようです。神様も「子供」のことだからと大目に見てくれたのでしょう。とても寛大な「神様」です。

 我々地区住民は、「ミケン様」の愛称で呼んでいます。毎年春と秋にはこの神社のお祭りを開いていて、我々地区住民の心の拠所となっています。これからは、我々若い世代が、地元を愛するムラ信仰の気持ち、「ミケン様信仰」を大切に引き継いでいきたいと思います。




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