<子づれで久留米新発見!

個人的「久留米」レポート


久留米という地域を知るために図書館で調べてみました。
耳納連山に抱かれ、悠久の筑後川筑後川に育まれた深い歴史と魅力を秘めた
緑豊かな城下町久留米、個人的レポートです(#^-^#)


◆久留米という地名の由来
 久留米という地名は、室町時代から文献に見られ、久留目とも書かれた。その語源については、
@天慶七年(944)の「筑後国神名帳」玖留目神を祭祀したとの記述があり、これによるとするもの。
A上古、大陸から渡来した機織りの工人集団がこの地に住んでいたので呉部(繰部くりべ)の居住した地、あるいは呉 姫(くれひめ)、呉女(くれめ)、繰女(くりめ)とよんだのがクルメに転訛したというもの。
B先住民アイヌ族が天孫族に放逐され、進入者をクルミ(日本の男子の意)と呼んだ。そのアイヌ語がクルメに転訛した というもの。
C用明天皇の皇子来目(くめ)皇子に由来するというもの。(来目皇子は新羅討伐のため筑紫に下り推古11年(603)福 岡県糸島郡志摩町久米で病死している)
D筑後川が大きく蛇行していることから、それを意味するクルメク(転く)を語源とするもの。
 などの諸説があるが定説はない。(『久留米市史』『クルメ郷土史』より)

◆久留米市庁舎
以前の久留米市庁舎は、昭和4年に建設され、60年以上を過ぎて古くなっていて、市民からも狭くていくつもの建物に窓口が分かれているので不便だという声がたくさん上がっていたため、特別委員会をつくって何度も話し合いをした結果、新しい市庁舎をつくることになった。
1992年(平成4年)に工事が始まり、2年3ヶ月の歳月と150億円をかけて1994年12月に高さ91m、地下2階地上20階の西日本一の新庁舎が完成した。最上階には展望ロビーがあり、筑後平野はもちろんのこと、空気の澄んだ日には、はるか南に雲仙普賢岳を望むこともできる。


◆久留米市の誕生〜今
明治22年(1888)当時の久留米の人口は24750人の小都市で市制の目安とされる人口には達していなかったが、近い将来発展の見こみがあるということを強く訴え、施行されることになった。九州の中で県庁所在地ではないところに施行されたのは久留米だけだった。
 このとき共に市制をスタートさせた福岡はどんどん膨張していった。一時は兄弟のように似たところもあった福岡と久留米は、今やまったく異なる味わいの街になってしまった。市制開始直後は久留米の人口と面積を2倍すれば福岡に匹敵したが、面積比が昔とあまり変らない現在、人口は5倍の差がある。人口の増減は街の活気に比例し、久留米は変化が乏しく元気がないとも言われる。しかし、市民の声は住みやすい町だという声が高い。環境の良さ、都会でも田舎でもないと市民が自称する中都市「久留米」の適度なのんびり感がうけているように思える。


◆久留米をつくった人々
久留米は全国に先駆けてはじめたという人がたくさんいる。
現在の久留米がブリヂストンに代表されるゴム産業に支えられているのは有名だが、それは二つの「たびや」から始まっている。今も残る「つちやたび」(現:月星化成)を創業した倉田雲平、「しまやたび」(現:アサヒコーポレーション)を創業した石橋徳次郎、その息子正二郎(ブリヂストンタイヤ創業者)、他にも久留米絣を考案した井上伝、からくり儀右衛門で知られる田中久重、江戸時代に久留米有馬藩士坂本元蔵が「コケまき法」により普及したといわれる久留米つつじは「クルメアザレア」の名で世界的にも有名。獲得した知識を惜しまずに広めるのは久留米の気質といえるのかもしれない。久留米の気風が閉鎖的でなかった背景には、やはり恵まれた環境条件があった。肥沃な土地柄と筑後川に面した利便性で、すでに8世紀には筑後国の中心地としての国分寺が置かれるほどの文化の交流地だったのである。


★番外★
  昔々久留米市のはずれは海岸だったらしい。おもしろい民話が伝えられている。

昔、ある男が毎朝神様に、「美味しい味噌汁を食べさせてくれる嫁を下さい」とお願いしていた。するとある日「いつ、いつの日、鳥居のそばにいる女を嫁にせよ」とのお告げがあった。行ってみるとお告げのとおり一人の女が鳥居のそばに居たので、すぐさまこれを嫁にした。
 それからは毎朝嫁の作ってくれる味噌汁のおいしいこと、おいしいこと!どうしてこんなにうまい味噌汁ができるのだろうかと不思議に思われた。嫁は「味噌汁を作るところは決して見ないで下さい」というので最初のうちは見なかったが、そのうちどうしても見たくて見たくてたまらなくなってしまった。
 ある朝、男がこっそり隠れて見ていると、煮立った鍋の中に嫁がいきなり裾をまくってショーッとおしっこをしかけた。男が驚いて突っ立っていると、それに気づいた嫁は「もはやこの家にはいられない」と言って家を飛び出していった。慌てて男が後を追いかけたが、嫁は浜辺に行き海に飛び込むと、大きな大きなハマグリになり海の底に沈んでしまった。おしっこと見えたのは、大ハマグリの身の汁を絞り出していたのものであった。
                                    (『久留米市史』より)


 久留米という町は、九州最大の河川筑後川が作り出した筑後平野の中心に位置する、
筑後地方の商業、文化、教育の中核都市であり、九州の各都市を結ぶ鉄道と道路網が交差する、
人と物の流れの拠点、産業交通の結節点である。
 福岡の急速な発展に取り残されたという節もなくないが、筑後川の流れのように
のんびりとした気質を持った住み心地の良い土地柄と感じる人たちが多い町なのだと思う。
歴史は古く、寺町や豪族草野氏の城下町草野など、古くから残る町も多い。
歴史散策にでかけてみよう。



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