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道後公園湯築城跡part3

道後公園湯築城跡の紹介の続きです。

■ 伊佐庭如矢翁頌徳碑

  伊佐庭翁は道後温泉の恩人である。道後温泉本館の改築、道後鉄道会社の創設、道後公園の整備充実、松山城の保存等、数多くの偉業を遺した。この碑の文字は郷土出身の文部大臣にして哲学者の安部能成の筆によるものである。
■ 内藤鳴雪句碑

  10.内藤鳴雪 句碑
「元日や 一系の天子 不二の山 」 内藤 鳴雪   
「内藤素行先生寿碑 先生俳名鳴雪ヲ以テ天下ニ著ルゝモ蓋シ老餘ノ韻事(風流)ノミ先生素ト漢学ニ造詣深ク最モ力ヲ教育ノ事ニ尽サル 初メ愛媛県学務課長後文部省参事官ニ歴任シ又常磐会寄宿舎監督タルコト多年 郷党育英ノ功没ス可ラズ世人其人格ノ崇キヲ嘆称セザルハナシ大正七年八月」  



鳴雪は弘化四年(1847)江戸の松山藩邸で生まれた。鳴雪は少年時代、漢詩を子規の祖父である大原観山に学び、俳句は子規の影響を受け45歳でこの道に飛び込んだ。鳴雪の号は「世の中は成り(鳴)行き(雪)にまかす」の意味と、自分の名である「素行(なりゆき)」と重ねたもので、彼の洒脱軽妙な俳風となっている。

”めでたい元日だな。万世一系の天皇をいただく、神々しく美しい富士山のあるこの国は”

新年の句として知られたこの句碑は、内藤鳴雪70歳を祝って大正7年に建てられた。正岡子規の句碑が最初に建てられた昭和8年より15年早く建てられたことになる。鳴雪が常磐会寄宿舎の監督をしていたころの寄宿生、勝田主計(当時の大蔵大臣)らが発起人となって建てたもの。10月27日の除幕式には、鳴雪も夫人とともに帰郷して出席し、盛大に行われたとのこと。17年ぶりとなったこの帰郷が、鳴雪最後の帰郷となった。
■ 復元区域

  湯築城の発掘調査は、1988年(昭和62年)に開始され、これまでに公園南部を中心に約2万平方メートルについて調査をしています。
公園の南部では、外部の内側に排水溝をともなった道路が巡り、その内部は、西側では建物の周囲を土塀などで小さく囲んだ「家臣団居住区」が発見されるなど、城内が機能や格式によって使いわけられていた様子が明らかになりました。
また、遺構とともに多種多様な遺物が豊富に出土し、当時の湯築城内の生活を復元する上で貴重な資料が得られています。この発掘調査の成果をもとに建物や土塀、排水溝、池などを復元し、実物の遺構は保護のため砂で埋め戻しています。

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