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道後公園湯築城跡part4

道後公園湯築城跡の続きです

■ 外堀

大手門のあった地点から外堀を望む
  現在の道後公園全体が湯築城跡(南北約350m、東西約300m)で、中央に丘陵があり、周囲に二重の堀と土塁を巡らせた平山城です。築城当初は丘陵部を利用した山城でしたが、16世紀前半に外堀と外堀土塁を築き現在の形態になったものと推定されます。また、江戸時代に描かれた絵図から、東側が大手(表)、西側が搦手(裏)と考えられます。
■ 秋山好古揮毛の記念碑

  昭和天皇の即位の義が執り行われた昭和3年に建てられた。
■ 子規歌碑

  「足なへの病いゆとふ伊予の湯に飛びても行かな鷺にあらませば」
明治31年(1898)の春に詠んだ「故郷を憶ふ」の一連の望郷歌の一首である。東京根岸の家で重病の脊椎カリエスで寝たきりの子規にとっては、ふるさとの道後温泉のことを夢にえがき詠んだものであろう。道後温泉には温泉で足の傷を癒したという白鷺の伝説が残っているが、子規は自分が鷺ならば道後温泉へ飛んで行って、病を治したいものだという悲しくも切ない心情を詠んだのである。昭和二十六年、子規50年忌に建立されたもので、高さ2mほどの見事な花崗岩である。文字は子規全集より一字ずつ集められ、この碑に刻まれた。

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