<コンシェルジェのトップへ

屋号表札プレート


直島町まちづくり景観整備事業として、直島町では「屋号マップ」を発行し、「屋号表札プレート」を屋号のある主だったお宅に設置したりしています。

それでは、屋号ってなんでしょう?

屋号を知ることは「家プロジェクト」にもすこ〜し関係があります。
家プロ第1弾の「角屋」の読み方は、”すみや”でも”かくや”でもなく”かどや”。
通りの角っちょに建っているので、そのまんま”かどや”です。
家プロ第3弾の「きんざ」は、よく”ぎんざ(銀座)”と間違えられますが、
初代の世帯主”金左衛門(きんざえもん)”を短く呼んだ呼び名”きんざ”に由来します。

次に、漁業、海運業に関連した屋号も幾つかあり、かつて漁師町として栄えた本村
の往時を偲んでイメージが湧きます。屋号マップ片手に本村の町並みを歩くと、
通りが碁盤の目のように縦横整然と走ってなくて、どっちに向かってもどこかの
家の壁に突き当たる構成になっていることに気がつくと思います。
これはかつて、賊が攻め込んだ場合に敵の放つ矢を家の壁で防御しながら戦闘を
したり、うまく逃走して追っ手を撒くために形成された戦略的町並みなのです。

屋号の由来
1.人名(初代の世帯主)
  本家から分家が枝分かれして同じ苗字の親戚の家が増えると、○○の長男
  誰某の家、次男の家、長男宅から南へ3軒目、次男宅の裏側などと家の場所
  を説明するのに時間がかかります。
  そこで、世帯主の仇名で呼ぶようにすれば同じ家は2軒とは無いはずなので、
  人物の特定や家の位置の説明が合理的にできるようになりました。
  「○○ざ」「○○どん」というパターンの屋号が何軒となくありますが、これらは
  「○○ざえもん」の短縮形「○○ざ」、由緒ある家柄には敬称の「殿(どの)」を
  付けて呼んだのが「○○どの」→「○○どん」と語尾変化したものです。
2.商号または職業
  事業を営んでいたお宅は、事業の商号を屋号として呼ばれるように
  なりました。
    例)堺屋・・・大阪堺の近くで廻船問屋を経営していた
      扇屋・・・商売繁盛を祈念して縁起のよい末広がりの形に
           ちなんで扇屋と命名
3.ロケーション
      家の所在地が屋号になったもの。
     例)角屋・・・通りの角にあるから
       中屋・・・集落の中ほどにある
4.先住地
    例)あこや・・・赤穂(あこう)から移住
      しもついや・・・下津井から移住
5.職業
       例)こおや(紺屋)・・・
         紺染をしていた紺屋(こんや)が変化して”こおや”と
         なりました。現在はタバコ店で、家プロジェクトの自由見学
         チケットを売っている植田たばこ店のことです。
      うどん屋・・・何代か前にうどんを売っていたと思われます。
         現在のうどん屋さんのことではありません。
      萬屋・・・その名のとおり何代か前には雑貨店をしていたのではないでしょうか。
      つるや・・・現在は旅館業を廃業して世代交代もしていますが、かつてはつるやの
         商号で旅館経営していたので本来の屋号よりつるやの方が通り名になった
         イレギュラーな屋号の例です。
 
余談ですが、筆者ことコンシェルジェの藤井も直島生まれで直島育ちなのですが、
子供時代は宮浦にいました。中学を卒業して高校に行くまでの春休みに本村に引越し
現在の家プロジェクトの近くに10年足らず居たのですが、当初は本村のお年寄りの方言と屋号に面くらい、何を言っているのか半分分からず困ったほどです。
小さな直島でも地区ごとに微妙に方言が違う上、宮浦には屋号のあるお宅は少なく子供時代には聞いたことなどなかったのに、本村に行くと会話の中に出て来る人名が「なんとかどん」とか本名から全く想像もつかない仇名だったり、商店をさしても電話帳記載の商店名ではなく「はちべえ」「まござ」「とくだい」とか呼んだりするので、不思議でなりませんでした。
屋号ではありませんが、直島の人の言う”ギョーカイ”が漁業組合を指すのだと理解するのにも歳月を要しました。


参考文献
ここで紹介できるのはほんのわずかな一例に過ぎません。
なにしろ、本村地区の大半の旧家と積浦地区、宮浦地区の一部の旧家に
伝承される屋号は、紹介すると1冊の本になるくらいですから・・・。
このページの記事も、大部分この著作から引用しています。
お手数ですがこのページの一般資料の検索欄にタイトル「屋号」(また
は「直島」)、著者・編者「三宅」と入力して検索してください。
時間経過でセッション切れになるため直リンクできません。

大三宅 倉敷代官に属した、直島の村の庄屋さんのお宅。

時代劇に出てくるような立派な門を構えた本陣造りのお宅で、
門をくぐって中庭に入った正面にはお偉方をお迎えする縁が
あります。
直島最高の家柄であることから、敬称の”大”、グレートの
大の字を冠して「大三宅」と呼ばれるようになりました。
三宅姓のお宅は多数ありますが、その中でもトップであると
いうわけです。
堺屋 別のコンテンツでご紹介したように、大阪の堺の近くで
廻船問屋として活躍したお宅です。
往時の商号「堺屋」を屋号にしています。

屋号プレートのベースの色は、そのお宅が接した道路によって
色分けがされています。たまたま「大三宅」以外は黄色ベース
の場所でばかり写真を撮りましたが、赤、青、黄があります。
時間帯によって斜めに射した日光が、この色付きのベースや
家の壁に落とす屋号の文字がくり抜かれたプレートのシルエットは、
それもまたアートと言えます。
下津井屋 祖先が出身地の下津井(岡山県)にちなんで「下津井屋」の商号を
使って浪速(大阪府)方面で海運業を営んでいたお宅です。
大阪住吉神社境内の玉垣に「讃岐国直島下津井屋某丸奉納」の
文字があるそうです。
橋本屋 苗字に橋の字は確かに含まれますが、橋本さんでも橋元さん
でもありません。川に架けられた石橋のたもとにあるから
「はしもとや」となったようです。
同様に、2代前の町長である故・三宅親連氏のお宅は神主さん
の家でお宮(八幡神社)のたもとにあるので「みやもと」と
いいます。
戎屋 「きんざ」の東隣のお宅。
昭和の初め頃まで銭湯を経営していましたが、当時は近くに
戎神社があり戎丁(えびすちょう)という通りに所在して
「戎屋」の商号を使っていたのが屋号になりました。

コンシェルジェのトップページへ