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極楽寺境内で涅槃のうどんを食す

4月29日、本村は極楽寺の境内でお涅槃が催され取材を兼ねてお接待のうどんを食べて来ました。
極楽寺は、山門、本堂、客殿、鐘楼が町指定文化財になっている直島最大の寺院です。その詳細は現場の各標識に書かれてあります。

  【極楽寺山門】
かつて本村には3つの寺院が南北に並んで存在しました。
現存するのは極楽寺だけですが、北の寺=高原寺(こうげんじ)、中の寺=極楽寺、南の寺=地蔵寺(いずれも正式名称はもっと長ったらしいです)と呼ばれ、高原家の菩提寺である高原寺は、1671年の高原家改易(お家取り潰し)の後はメンテナンスをする人も無くやがて高原城も高原寺も無くなってしまいました。城は天明の大火(1781年)で焼失したと推測されています。
現在は極楽寺庫裏の北側、護王神社へ上がる脇道の手前に高原家の墓標群と高原寺のお堂が残っているのみです。

さて、ある時高原氏の分家の末裔、現福岡県黒田藩士の高原次郎兵衛利定が直島を訪れると、城もお寺も無くなり高原家の痕跡を留めるものが無いので、これではいかんと高原の名を後世に伝えるため、安永年間に寄進したのがこの山門と石段で、懸額には高原家の家紋と船印が入っています。
石段は、継ぎ目の無い一本物で4m強もの長さのある貴重なものです。

【唐破風付向拝】
唐破風(からはふ)の付いた向拝(こうはい)。
え〜〜と、以下は辞書の丸写しです。
●破風
屋根の切妻にある合掌形の装飾板。また、それに囲まれた三角形の所。屋根の形式、破風の位置や形によって切妻破風・反り破風・唐破風・千鳥破風などの種類がある。
●唐破風
中央部は弓形で、左右両端が反りかえった曲線状の破風。門・玄関・神社の向拝の屋根や軒先などに用いる。
●向拝
社殿や仏堂の正面に、本屋から張り出して庇(ひさし)を設けた部分。参詣人が礼拝する所。

極楽寺 山門

うどんのテント

唐破風付向拝
  【極楽寺 本堂】
右上の唐破風付向拝を備えた本堂の姿です。本尊は阿弥陀如来で、元禄9年の建立。
極楽寺の本堂、客殿、庫裏はいずれも平成に入ってから修復されていますが、最初の修復は平成5年の本堂です。その際には稚児行列をして賑々しく落慶のお祝いがなされました。もし記憶が正しいなら、極彩色の唐破風もその時に色鮮やかに修復されたものと思います。

【極楽寺 鐘楼】
極楽寺は八幡神社の神宮寺だったのが明治元年の神仏分離令により鐘楼を八幡神社境内から極楽寺内に移設しました。現在の鐘楼は明治29年の建築、鐘もこの時の新鋳です。

【大楠木】
境内の外壁の外、八幡神社の石段側にそそり立つ、樹齢1000年とか言われる楠。

極楽寺 本堂

極楽寺 鐘楼

大楠木
  前日に極楽寺の前を通りがかると境内で何やら人々が忙しくしているので覗いてみると、お涅槃の準備でした。
だいたい知っている人ばかりですから、顔を合わせると
「お、手伝いに来てくれたの?」
「いえ、通りがかっただけです」
「なんや〜、冷やかしか lol」
という会話になり、横からまたほかの人が
「明日は、ここで食べれば一食だけでも(食費の)倹約になるんだから、食べにおいでよ」
と声を掛けてくれました。

さて、翌29日は3年間ふれあい診療所に勤務してくれた先生が転出するので宮浦港でお見送りをし、その足で極楽寺へ。
だいたい知った人ばかりですから、
「何をモタモタしよん?さっさと座って食べなさ〜い」
食べた後もまたほかの人が
「食べたか〜?もう一杯食べるやろ?」ほかのオバチャンに向かって「○○ちゃん、もう一杯作っておやり」
「あら、△△さん、髪形変えたんですか?」
「今頃気がついたんか」

口は少し悪いが人情は厚い、そんな直島の人々でした。

右の割烹着を着ているのは直島女文楽の座長、隅田さんです。
帰ろうとしているところを見かけたので呼び止めて1枚撮りました。

うどん一杯目

うどん二杯目

隅田座長

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